『日本誕生:男神天照と聖徳太子からの古代史』目次とアクセス
6.アマテラス、私の勾玉ネックレス返して
大蛇討ち出雲八重垣妻籠みて国建つるらむ建速須佐之男
『古事記』であるように高天原でではなくて、実は筑紫で宇気比をした須佐之男命は、宗像三女神と天忍穂耳命など五柱の男神を設けて、居座ったけれど、結局「おいた」というか狼藉が過ぎて「神逐(かむやら)ひ」されてしまったわけですね。それから出雲に行って、いよいよ出雲の国を建てるわけです。
ちょっとひっかかるのが、元々お母ちゃんに会いたいから根の堅洲国へ行くといってたのに、宇気比に勝って、筑紫に居座り、さんざ迷惑かけて追い出されたわけでしょう。それで出雲にいくのだったら、根の堅洲国は出雲にあるのでしょうか。あるんだったら建国とかしている場合じゃなくて、根の国に行かないとね。話の展開がすんなり整理されていません。
伊邪那美神の墓があり、黄泉の平坂などもあって、出雲へ行く目的はそこにあったのかもしれませんね。つまり黄泉の国に行くといっても死んでしまうという意味ではなくて、母の墓を守るというような意味だったかもしれないのです。でも須佐之男命はパワーにあふれているので、行く先々で事件に出くわし、大活躍してしまうタイプで、結局出雲の国を立ててしまったわけですね。
出雲に着く前に、大宜都比売(オホゲツヒメ)が登場します。ということは、須佐之男命は筑紫を追放されて各地をさまよったのでしょうか。阿波の国の意味を持つ大宜都比売に出会って、食べ物を欲しいというと、鼻・口・尻から食物を出して、それを調理してご馳走しようとしたので、体から出てくるものは穢いと思っていた須佐之男命は、怒って大宜都比売を殺してしまいました。

すると頭から蠶(かいこ)が生まれ、二つの目から稻種が、二つの耳から粟が、鼻から小豆が、陰(ほと) から麥が、尻から大豆が生えたのです。それで神產巢日御祖命が、これをとって種にするようにしたそうです。
大宜都比売というのは大地の女神でしょうね。大地からいろんなものが生えてくるわけだから。大地の生命力を表すような女神を殺すと、そこからいろんなものが生まれてくるという話は東南アジアにあるらしいのです。
ハイヌウェレ型神話というのです。インドネシア・セラム島のヴェマーレ族の神話の一つです。ハイヌウェレという少女は、ココヤシの花から生まれたのですが、様々な宝物を大便として排出したそうです。彼女はたのしそうに、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったのです。
村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまったということです。そしたら彼女の父親は、死体を掘り出して、切り刻んであちこちに埋めたそうです。そうしたら不思議な事に、彼女の死体からは様々な 種類の芋が発生してきたのです。その芋がおいしかったので、人々の主食となったというお話です。
大宜都比売を殺したら、いろんな植物が生まれてくるということは、大宜都比売を大地の女神としたら、大地はあらゆるものを生み出すのだけれど、そのあらゆるものを生み出す大地をいったん殺して、何か特定のものが生まれてくるようにするのが農耕でしょう。だから須佐之男命は開拓者のヒーローとして描かれているわけです。殺すというのは残虐だけれど、人間と自然との関わりというのは、そういう残虐性も含んでいるってことなのです。
これのパクリみたいな話が『日本書紀』にあります。月讀命が保食神(うけもちのかみ)を殺す話です。やはり口から食物を出して饗応したので殺したら、いろんな植物が出てきたという話です。これは二番煎じなので、フロンティア・ヒーローとして描くところに狙いがあるのではなくて、月讀命を 須佐之男命みたいに荒々しくで男性的に描くために書いたのでしょう。つまり月讀命を男神と思い込ませるためです。それで天照大神は、高天原で天照大神の補佐役をしていた月讀命に腹を立てて、会わないようにしたので、昼と夜が分離されたという説話です。
それでいよいよ八岐之大蛇退治の話ですよ。
『古事記』や『日本書紀』だと宇気比が高天原だから、須佐之男命は高天原に居座っていたことになり、そこで狼藉を働いたので「神逐(かむやら)ひ」で追い出されて、出雲に天から降ってきたことになっているけれど、差し替え説だと、元の説話では、筑紫から追い出されて、船でやって来たということになります。「天降り」ではなくて「海降り」です、どちらも「あまくだり」と発音しますが。
出雲では高志(こし)の八岐之大蛇が毎年、娘を生け贄に要求するので足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)という名の老夫婦が困っていたのです。今年はもう八人目だということです。そんな人間の娘を生け贄に要求して食べる蛇なんか居るはずないですよね。
高志は越だから北陸の方の人たちでしょうね。そこの人たちに支配されて、人身御供を要求されたというけれど、本当に大蛇に食べられていたのでしょうか?人身御供でも他国の支配があって、その象徴である八岐之大蛇に食べられているとなると、八岐之大蛇を退治して、出雲の独立を勝ち取るのは極めて英雄的な独立建国闘争の話です。
元々は出雲国では蛇をトーテム動物にしていました。トーテム信仰では、蛇や鹿や熊など特定の動物を選んで自分たちの部族と同一視するのです。自分たちの部族と共通性を見出すとその動物をトーテムに指定するのです。そうすると死後、その動物になってあの世で生まれ変れると思い込んでいます。
逆にそのトーテム動物が死んだら、人間に生まれ変わるのです。こうしてこの世とあの世を行ったり、来たりするのです。だから自分たちのトーテム動物に食べられてもあの世でそのトーテム動物に生まれ変わっているのだから、生命の循環を象徴する儀礼なのです。
あるいは蛇は大地の化身なのです。蛇は土を食べて柔らかくしてくれます、それで豊穣をもたらす神として祀られています。だから蛇に食べられるということは大地に犠牲を捧げるということですから、それに応えて大地が豊穣を与えてくれればいいわけです。大地からの生命を食べて生きているのだから、大地に犠牲を捧げるというのはむしろ当然という信仰だったのです。インドなどでは大地の女神カーリーに人身御供を捧げるという儀礼が行われていたのです。
でも須佐之男命の話では、高志からきた侵略者が八岐之大蛇に象徴されているのです。八岐之大蛇は出雲族のトーテムだったはずですね。高志では宝石になる翡翠(ひすい)がとれるので、翡翠(かわせみ)がトーテムだと言われています。
だから侵略者たちは出雲のトーテムが蛇だということを利用して、蛇を操る術を身につけてそれで出雲族を支配したのではないでしょうか?もちろん武力で制圧した後の統治方法としてですが。それに人身御供は儀礼だけで、実際は高志に送られて使役されていたことも考えられますね。
八岐之大蛇をやっつけるのに、大きな酒樽8つ用意して酔っ払わして首を切るという方法をとりました。ヤマトタケルの熊曾退治でも酔っ払わすというのがあり、相手の方が圧倒的に数や武力で優っていると酒で酔わせてやっつけるという方法が、『古事記』ではよく使われています。
須佐之男命とか倭建命は超人的パワーをもっていますから、相手が酔っ払ってなくても勝てそうですが、実は頭を使って、相手の弱みを突いたり、相手が実力を発揮できなくしてやっつけるという必勝法を使っていることが多いのです。
こういう神様だって策略を使って勝っているのだから、一般の人間は命がけで戦う時は、先ずは智慧の勝負が大切なのですよ。何しろ命がけの戦いは、死んだらおしまいだから、スポーツみたいに互いに健闘を讃え合うというようなものじゃないのです。殺し合いでは、いかに相手の罠をかわし、相手を罠にはめるかが勝負なのです。
見事に八岐之大蛇をやっつけた須佐之男命は大蛇の尾から天叢雲剣を取り出します。雲を集めて嵐を巻き起こし、敵をやっつける刀ですから、これを持っている者は天下統合でもできてしまうという天下無敵の覇権のシンボルなのです。だから須佐之男命が天叢雲剣を手に入れたということは須佐之男命にしたら自分が天下を統合すべき存在だと確信したでしょう。
それなのに武田祐吉訳の『古事記』ではあっさり天照大神に献上しています。
「この大刀をお取りになつて不思議のものだとお思いになって天照らす大神に獻上なさいました。これが草薙の劒でございます。」
原文では
「故取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。それでこの大刀を取りて、異物(あやしきもの)と思ひて、天照大神に申し上げた」
と書いてあるのです。何も献上したとは書いていませんね。
その武田訳は『日本書紀』に影響されているのです。一書にいわくで
「それで尾を裂いて見ると、尾の中に一本の神剣がありました。スサノオは言いました。『これは私のものにしてはいけない』スサノオの五世孫の天之葺根神(アメノフキネノカミ)によってこの神剣は天に捧げられました。これは現在でいうところの草薙剣(クサナギノツルギ)です。」
「此不可以吾私用也(これは吾もって私用すべからざるなり)」
だから、勝手に使ってはいけないということです。正確に読みますと、『日本書紀』でも須佐之男命自身は天照大神に献上していません。五世の孫が献上しているわけですから。天下無敵の剣はどんな戦いがあるかもしれないから、自分でもっていたいでしょうから。私用はいけないが、大義のために使うのはノープロブレム(問題ない)のでしょう。
八岐之大蛇は八つ丘、八つの谷に及ぶ背をしていたというぐらいだから、超巨大です。要するに多くの山脈が重なりあってできている大八洲全体のシンボルとも言えるのです。それでそこから出てきた剣は大八洲全体の霊に当たるのです。それを手に入れたからは、大八洲全体を支配できる資格が与えられたとも受け取れますね。
ですから天照大神の直系の子孫が天下を支配すべきだというのは、ずっと後の時代の考え方なのです。三貴神がどこを支配すべきかについて、『古事記』ではどうなっていたか覚えていますか?
そう、天照大神は高天原、月讀命は「夜の食国」、須佐之男命は海原でしたね。
ところが『日本書紀』の本文では、天照大神は高天原、月讀命は海原、須佐之男命は天下になっています。これだと須佐之男命が大八洲を統治すべきだというように受け取れますね。高天原が任那・加羅で海原が対馬・壱岐とすれば、北から順番になっています。
ところが須佐之男命は仕事を放棄して暴れるものだから「神逐ひ」されて、大八洲を支配する資格を喪ったとも解釈可能です。それで天照大神の子孫が統治すべきだということになったとみなされてきたわけです。
『日本書紀』には「一書に曰(いは)く」というのがあって、天照大神は高天原で、月讀命は「可以配日而知天事也(以て日に配し、天の事を知らすべし)」となっていて、天照大神の補佐役にされています。そして須佐之男命は海原になっています。こんなにいろいろあるとどれが元の形だったのか分からなくなります。
だから三貴神とはそもそも何かをはっきりさせておかなければならないのです。それで前にも言ったようにイザナギ・イザナミが国生みした大八洲を支配すべき建国神だったから三貴神なので、それでいくと高天原に上げられたり、月讀命を天照大神の補佐にするなんてトンデモナイ話です。あくまでも三貴神と対等表現なので、月讀命には「夜の食国」を支配させるべきなのです。
じゃあ須佐之男命も、海原とか言わないで、はじめから出雲にしておくべきだったのではないのかと疑問に思われますか?伊邪那岐神にすれば、海原倭国の跡継ぎに須佐之男命を育てようとしていたのです。天照大神が畿内を月讀命が筑紫(九州)を治め、そして半島と大八洲をつなぐ水運を須佐之男命が担当して、高海原・海原・大八洲に倭人の連合を築いていく構想だったのです。ところが須佐之男命が思うように育たないで問題ばかり起こして、追放されてしまった。そして結局須佐之男命は出雲で高志勢力を追い出して出雲倭国を作ったのです。
ではどうして須佐之男命は大八洲を統合する権利があると思い込んだのでしょう、天叢雲剣を手に入れたからでしょうか。もちろんそれは確信を掴めた材料ですね。須佐之男命は、海原倭国支配という伊邪那岐神の跡取りとして育てられたから、大八洲を統合する役目も与えられていると思い込んだかもしれません。
でもそれはトンデモナイ思い違いだったのです。だって高海原や海原倭国にとっては、大八洲が一つの倭国に統合されるのはまずかったからです。つまり、大八洲が大国になって繁栄すれば、高海原や海原も取引が増えて大いに栄えるという訳にはいかないと考えていたのです。むしろ大八洲が強盛大国になってしまったら、海原倭国はその通商係としてこき使われ、高海原も出先機関になってしまうのではと危惧していたのです。つまり大帝国ができると呑み込まれてしまい、今までのように操って支配することはできなくなってしまうということですね。
結局は、須佐之男命は出雲建国止まりでしたね。どうして大国形成に踏み出せなかったのでしょう?もともと他所者だったから出雲国内での覇権確立に手間取ったのかもしれないですね。そのあたりがはっきりしません。八岐之大蛇に生け贄にされかかった櫛名田姫を嫁にして、宮をつくったことを詩にした出雲八重垣の歌が残っているだけです。何も国内政治の特長とかの記述はありません。
その歌謡が文字化された最古の歌謡とされています。
「八雲立つ、出雲八重垣、妻隠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」
元々宮というのは妻を守るために、何重にも垣を作っていたのです。確実に自分の跡継ぎをそこで育てるための拠点ですね。確かに出雲内には対抗勢力もあったでしょうし、子供ができると跡目相続をめぐって骨肉の争いがあったかもしれません。須佐之男命が全国制覇に乗り出せなかったのは、跡目相続をめぐって、息子の一部から恨みを買って殺されたかもしれません。だって須佐之男命の息子たちは八十神と呼ばれて荒っぽくて強欲な連中が多かったようですから。
その前に気がかりなのが、母の国に行きたいという願いがあったので、それは死への衝動やあこがれですね。だから建国の仕事に集中出来なくて、突然姿をくらました、あるいは殺されたということも考えられます。
後に黄泉の国で、逃れてきたオホナムチ(大国主)命に会っています。それは娘の須世理姫が須佐之男命の墓を守っていたということだとも解釈できますが、そのあたりの事情はよく分かりませんね。ただ元々が母伊邪那美神に会いたいということで、海原から出てきて、私の推理では筑紫に十年ほどいて、そこを追放され、結局母伊邪那美神の墓のある出雲に来たのでしょう。
そこで高志の勢力を追い出して建国したものの、跡目をめぐって権力闘争が凄まじく、巻き込まれて殺されてしまったけれど、その遺体を娘の須世理姫が地下か洞窟に隠していたというのが一番納得出来る解釈ですね。
実は、須佐之男命の正体について、もう一つ大問題が残っています。須世理姫の夫がオホナムチつまり大国主命でしょう。ところがオホナムチは須佐之男命の六世の孫になっています。これは絶対に可怪しいでしょう。六世の孫が娘の婿になる筈がない、どちらかが間違っています。
六世の孫だったら一世代25歳平均として150年は離れていることになります。だったら須世理姫の父の須佐之男命と大国主命のご先祖の須佐之男命は別人だったと考えるしかないのです。『千四百年の封印 聖徳太子の謎に迫る』の年表を見て下さい。

「紀元前140年頃に三貴神でない須佐之男命が出雲国を建国、やがて北陸地方の高志(越)が出雲に侵攻して支配する。」
となっています。これに気づくのに半世紀以上かかってしまいました。というか今までだれも気づかなかったのでしょうか。だれか気づいていたかもしれませんね。私も専門家ではないので、研究論文にすべて目を通せてはいませんから。
神話では伊弉諾・伊邪那美が国生みをしたので、それ以前はなかったみたいに思ってしまうけれど、現人神としての伊弉諾・伊邪那美は紀元前100年頃に三貴神を生んだわけです。当然その前に朝鮮半島や中国の沿海地方から渡来してきたわけで、その中で滅法強い暴れん坊が須佐之男命と呼ばれて出雲を建国したという伝承があったのでしょう。
それで高志の侵攻で敗れた須佐之男命は行方不明になっていた。出雲の民衆はいつか須佐之男命が再来して、高志を追っ払ってくださると信仰していたのかもしれませんね。三貴神の須佐之男命はその伝説を聴いて、もう百年は経っているけれど自分はその生まれ変わりの第二の須佐之男命だみたいに言ったのかもしれないと想像するとワクワクしてくるでしょう。
記紀神話では何世か言わないのです。それで同じ名前で何世紀も出てきます。神様だから寿命がないみたいに受け取られがちですが、それはとんでもない誤解です。現人神はあくまで人間なので寿命があるのです。だから系図などで矛盾だらけだとつい架空の人物だと決めつけられてしまうけれど、簡単には架空と決めつけないことです。いたとしたらどう説明できるのか考えると歴史が見えてくるのです。
でもそれは今となっては、須佐之男命が二人いたことは、実証できないのであくまで歴史物語に留まります。それはそうですが、その物語は納得できるものになるので、歴史として了解できるという意味で大いに使える知識なのです。
こういう科学的に実証できないけれど使える知というものがあり、それを「科学知」と区別して、石塚正英さんが「歴史知」と名づけています。七世紀までの日本古代史は文字史料がほとんどないので、科学的に実証できないけれど、矛盾を精査すれば見えてくることがあるので、歴史知的に解明することが大きな部分を占めているということです。





