1、脱成長か脱停滞か

ただ一つ取り換え効かない地球なら正論ならずやデクロワサンスは



小山田冴子:やすい先生、この度は新著『脱成長か脱停滞か』ご出版おめでとうございます。2月11日には大阪哲学学校主催の出版記念ZOOM報告会があるそうですね。

やすいゆたか:ありがとうございます。それで話すことをまとめるに貴重な読者である小山田冴子さんに御話相手になっていただいて、予めまとめて置こうと思いまして。わざわざお越しいただいた次第です。

小山田:それは光栄ですね。でも私は経済学の詳しいことは存じませんよ。
やすい:『脱成長か脱停滞か』というのは、経済の専門家の問題というより、全国民というか人類全体の直面している最重要の課題ですから、みんなで検討しないといけないわけです。

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小山田:それはそうですが、1972年のローマ・クラブの『成長と限界』の上のシミュレーションでは、21世紀の内に汚染は天井知らずで資源は底をつきますし、工業生産は2020年頃をピークに急激に下がり、人口は2050年に減少に転じます。だって2010年頃をピークに食糧も減少すると予想されたからです。そうなるのを防ぐには、やはり経済成長を抑制せざるを得ないのでしょう。

やすい:2019年のデータに基づいても2040年以降の衰退が予測されているようです。

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このシナリオのもとで色々対策を取り、優先事項を変えてシュミレーションしても急激な衰退は防げても停滞に陥ることは避けられないということですね。世界四大会計事務所のひとつ「KPMG」でディレクターを務めるガヤ・ヘリントン氏が2020年11月3日、学術雑誌「ジャーナル・オブ・インダストリアル・エコロジー」で研究論文を発表して示しています。

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小山田:それなら脱成長派の議論は、ガヤ・ヘリントン氏の予測に沿って行動して、人口も経済規模も一定の定常経済の状態に落ち着くようにしたらいいということになりますね。

やすい:日本の場合、ここ30年間以上ゼロ成長ですから、定常化という目標は達成してしまっているのですが、ゼロ成長になっても環境汚染は減っていません。環境対策を進めて目標を達成しようとしたら、そのための設備投資とか、産業振興が必要になり、経済が成長することになりますね。

小山田:脱成長派もそういう形の経済成長なら大歓迎でしょう。あくまでも地球環境を守るために脱成長を主張しているのですから。

やすい:もちろん結果として経済成長しても環境が改善され、労働条件などが悪化していないのなら文句がないと思います。しかし例えば炭素系燃料だと二酸化炭素の排出が増えるので、電動自動車にしますと、たしかに先進国の脱炭素には貢献するのですが、リチウムイオン電池を使うので、リチウムやコバルトを産出する途上国の環境を破壊したり、児童を危険な労働に従事させたりします。結局、環境破壊を途上国にアウトソーシングしただけで、地球全体としては環境悪化していているのだといいますね。この議論は斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』で展開されて良く知られていることですが。

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斎藤幸平さん

小山田:斎藤さんは資本主義だと利潤追求が目的なので、とても成長を止めるブレーキが利かないというスタンスで、脱成長コミュニズムでいかないと駄目だというわけでしょう。しかし資本主義を止めるというけれど、暴力革命を起こして、資本主義体制を打倒するという条件はありません。議会で脱成長コミュニズムにする法案を通そうにも、株式会社などを禁止する法案が通る程、共産主義に国論が一致するとは思えません。

やすい:脱成長コミュニズムを実行したかったら、そういう企業を建ち上げなさいということになるのが関の山でしょうね。そうすると資本主義企業とコスト競争などで負けるわけにはいかないので、コミュニズム企業も利潤を蓄積して、研究投資、設備投資をしていく必要ありますから、脱成長というわけにはいかないでしょう。

小山田:斎藤さんは、資本主義では駄目で、共産主義でも成長を目指したら駄目だから脱成長コミュニズムでいこうということでしょう。その根拠をマルクスの晩年の思想に求めても、マルクスが言ったから正しいとは限りません。それに21世紀の資本主義社会ではどのようなプログラムで実現可能なのかは示せていませんね。実験的な試みについて触れているだけです。

やすい:第一、マルクスは根っからの進歩主義者ですから、反進歩など説くはずもありません。斎藤さんの勝手な読み込みにすぎません。まあそれは本書を読んでいただくとして、セルジュ・ラトゥーシュなどの「脱成長」派は、現在の生活様式では地球は1つでは足りないから、1個で足りるように、生産とか消費を縮減すべきだと言っているわけです。その限りで脱成長の主張は正論ですね。だから経済成長をめざすべきだという「脱停滞」派は、地球を破壊する生産や消費をどのように縮減しながら成長できるのかを示さなければなりません。

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セルジュ・ラトゥ―シュ

小山田:それが「持続可能な開発目標Sustainable Development Goals」ということですね。元々ラトゥ―シュは『デクロワサンス(縮減)』を唱えたのであって、それを「脱成長」に翻訳されてしまったわけですね。地球が一個で足りるようにエコロジカルフットプリント(EF)つまり環境破壊を縮減しようという議論だった。だからミドリムシユーグレナを増殖させ、食糧や燃料をどんどん生産して、経済成長するのは温室効果ガスの削減につながるので、オーケーなわけですね。

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やすい:ええ、縮減のターゲットは実はGNPではなくて、環境破壊なのです。ただほとんどのGNPの成長は、環境負荷を伴うので、GNPの脱成長というスローガンになってしまったわけです。だから脱停滞を説く成長派は、プラスマイナスして、全体としてEFを縮減できる形での経済成長を目指さないといけないということです。

小山田:それは難しそうだけれど、それができれば脱停滞派は脱成長派の問題提起を自らの中に包摂できているので、説得力がありますね。それに対して、脱成長派はGNPの成長を伴いながら、EFの縮減を図ることは原理的に無理であることを論証する必要があります。

やすい:脱成長派は、経済成長に伴って環境破壊がひどくなったから、経済成長を止めたら環境破壊も止まるし、環境破壊される以前のレベルまで縮減すれば、元の破壊される前の自然が戻ると考えているようです。いわば老荘思想の現代版なのです。実際は環境破壊を抑制するためには既存の施設のメンテナンスが必要ですし、汚染物質を排出しないで除去したり、再利用する技術も必要です。そのためには科学技術を不断に進歩させる研究開発投資、設備投資が必要ですね。それらをGNPの成長なしでできるかどうか疑問です。

小山田:18世紀産業革命が起きた時のイギリスは、ボタ山だらけで、スモッグがひどく、水質汚濁もひどかったようですが、その後素晴らしい田園風景を取り戻しました。それは経済成長を止めたからではなく、環境対策の技術革新を進め、経済成長したからですね。

やすい:ええ、私は戦後経済史を生きてきましたが、1960年代の高度成長期は私の住んでいた大阪市大正区では小学生の3割が小児喘息でした。もちろんスモッグがひどかったからです。それがかなり空気も河川の水質も浄化されました。それはより経済が発展したからです。まさか経済成長を止めれば環境破壊が止められるというような幼稚な発想は思いつきませんでした。文明が生み出した問題は文明がさらに発達することによって、解決していくものだとだれしも考えていたと思います。

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高度経済成長期の大気汚染

小山田:工場から廃液は初めはそのまま排出されて河川や海を汚染していたのが、徹底的に浄化してから排水する。工場から出される排煙は煙突からそのまま出されていて都市をスモッグで包んでいたのが、浄化して出さないようにするわけですね。二酸化炭素などは無害と思って出していたのが、温室効果ガスで地球温暖化の元凶だということで、吸収するようにするわけですね。それでミドリムシを育てれば、そこからいろんな産業が興ります。

やすい:ところが資本主義は、欲望の資本主義と呼ばれるように、何をどれだけつくるかは、それが売れるかどうかによって決まりますから、環境を守る方向で需要や生産を無理に方向づけることはできないという資本主義批判があるわけです。例えば衣類なんかは用途によって何種類でも必要だという事に成りますし、毎日その日の着るものを変えたりしますと、一人何十着も要ります。ある予備校の人気講師は、毎日違う背広を着るのを売りにしようということで、大きな部屋を借りて何百着も背広を揃えました。そんな無駄のことをすれば資源も減りますし、それを作るのに無駄な労働を費やすことになります。これでは環境が持たないということですね。

小山田:それは資本主義の格差と環境倫理の問題ですね。給与格差をつけすぎるから、人気取りに奔って呆れたパフォーマンスで気を引く作戦に出る講師が登場します。そういう資源の無駄遣いをしているということで、品性を疑われ、人気が落ちることもあり得るわけで、環境倫理を学校や社会でもっと強調すれば、その講師は背広で勝負するのをやめるでしよう。

2、格差拡大と経済停滞

グローバル格差いよいよ激しけれ所得伸ばせずデフレ地獄か

小山田冴子:1972年にローマクラブの『成長の限界』が出て、このままでは21世紀中に資源が尽き、環境が破壊されて、成長できなくなり、人口も減り、経済は衰退すると警告されました。それが1980年代から経済のグローバル化が東西冷戦の終焉もあって急進展します。すると各国間の経済競争で、資本流出を防ぐために、累進課税の緩和や法人税の引き下げ競争が起こります。そのせいで、国際的にも国内的にも格差拡大が進みまして、中間層が没落し、国内の需要が伸びないので低成長に陥ったのです。

やすいゆたか:その中で日本は科学技術大国化し、先進技術で世界経済をリードするようになりました。それで日本の輸出が多いのは円安のせいだとされ、1985年のプラザ合意でドル安、円高に調整されます。一時円高で輸出産業が不利になり、不況になりますが、すぐに円高のメリットが効果を表しまして、企業の収益が改善されます。それを更なる技術革新のための投資にまわしても、日本は最先端だったので、その上に行くのはなかなか大変で投資効果が少なくなります。また賃上げにも回しません。何故ならこれまで進めてきたハイテク化で省力化が進み、労働者の立場が弱くなっていたからです。それで企業は膨大な利益剰余金を不動産や株式などの投機に回しました。それが膨大な値上がり益を生み、いわゆるバブル景気に沸いたわけです。その最盛期1989年には世界の企業ランキング上位20社のうち14社が日本企業だったわけです。もっとも当時は不動産バブル全盛で、企業も世界に資産を持っていて企業規模が実力以上に膨れ上がっていたので、その分割り引いておく必要はあるかもしれません。

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小山田:しかしバブルが崩壊すると、従業員が10人未満の零細企業でも数億円の負債を抱えるほどの打撃を受けて、設備投資にも賃上げにもお金を回せなかったので、以来30年を超えるゼロ成長になりました。図らずも脱成長、定常経済化を達成してしまったのです。それでしかし喜んでいられません。雇用は不安定になり、社会保障体制も十分でなくなり、将来よくなる見通しも全く持っていないのです。それでなんとかこの停滞を脱する途はないかと苦悶しているわけですね。

やすい:バブル崩壊後、財政から赤字国債を出して、民間の危機をカバーしてきたのですが、企業は利益剰余金が出てもそれを配当に回すか、溜め込んで、設備投資や賃上げに回さなかったのです。つまり日本では当分デフレが続くと見込んで、投資しても需要が伸びないので、売れないと見込んでいたわけです。むしろ成長が見込まれる中国などに投資した方が儲かるという判断です。それで技術革新が進まないから、最先端だったはずの日本企業の国際競争力も落ちてきたのです。

小山田:科学技術大国化で一人勝ちしていたかに見えた日本が十余年遅れて、バブル崩壊で経済停滞に陥ったのですね。今度は30年を超えるゼロ成長で、長期停滞体質が「日本病」と呼ばれる程、日本の停滞は深刻ですね。なんとか金利を下げて景気回復を狙っているのですが、企業は配当には赤字でも回すけれど、設備投資や賃上げには回さないので、ゼロ成長から抜け出せませんね。

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やすい:ゼロ金利にびっくり仰天したのが、水野和夫さんです。『資本主義の終焉と歴史の危機』です。これは17世紀初頭のイタリアで金利が2%を割って以来400年ぶりの歴史的超低金利なのです。それで「金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死」をキャッチフレーズにして29万部の大ヒットになりました。このキャッチは紛らわしいですが、どうも金利をゼロにしなかったら利潤は出ないという意味らしいです。現実には利潤率は7%や8%ということで出しているわけです。

ROEとは自己資本利益率です。

その代わり、設備投資や賃上げをネグレクトしています。現在利益剰余金(社内留保)は400兆円を超えているそうです。これは当然系列銀行などに預金されていますので、国内が不況で投資先がないので、米国や中国に流出しています。だから田村秀男さんは『日本経済は再生できるか』で、日本の停滞が中国の成長を支えていると憤激し、もっと国内に投資しろとおっしゃるのですが、なにしろ所得が増えないので設備投資して生産を増やしてもデフレがひどくなるだけですね。

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小山田:ロバート・ライシュ『THE WORK OF NATION』やピケティ『21世紀の資本』などでも所得格差の拡大が中間層の没落をもたらし、内需が減って低成長に陥っているという分析ですね。アトキンソン著『21世紀の不平等』も所得格差をどう縮小すべきかを探っています。日本の場合もバブル経済の原因になった投機の原因は、ハイテク化が省力化を伴い、雇用所得が伸び悩んで、国内市場が拡大しないので、設備投資や賃上げに回すべき資本が、投機に流れた結果ですね。だから所得格差の縮小を経済政策の根幹に据えない限り、問題は解決しないということでしょう。

やすい:そうですね。ライシュなどはクリントン大統領の親友だったわけで、所得税の累進課税の復活や法人税の引上げ等を提言していると思いますが、アメリカだけが先走ってすると企業や資本家が外国に逃げる恐れがあります。経済のグローバル化は進んでいても、なかなか協調して国際協定で実現するのも難しいですし、国内の議会は選挙資金がらみで資本家に買収されやすいのでアメリカでは、格差拡大はますますひどくなっていますね。

小山田:日本の場合、赤字国債で景気回復を図り、それで雇用も回復し、賃金も上がるというつもりが、かえって裏目に出ましたね。所得が増えていないのに、公共事業や設備投資への支援で、供給を先に増やしたものだから、デフレが余計に深刻化し、税収が増えないので、政府の累積債務が雪だるま式に増えて、今では1000兆円を超えるまでになりました。それで緊縮財政で、規制緩和で民間活力に頼った小泉改革は、結局失敗ですね。だって企業は利潤を株主への配当と社内留保に回して、設備投資や賃上げには回さないので、成長する筈がありません。

やすい:アベノミクスは機動的財政投資ということで、経済成長の起動力になりそうな分野に重点投資したわけですが、緊縮財政の枠内ですから、高が知れています。それにプライマリーバランスつまり税収の枠内での支出という原則に縛られて、消費税増税に踏み切ったので、所得が減ったのと同じですから、デフレ脱却はできず、ゼロ成長を続けたわけです。

小山田:やすいさんの発想だと、田村さんのいうように国内投資を優先しろという場合、今までのようにサプライサイドに回す前に、ディマンドサイドつまり家計の方に先に回し、経済の循環がスムーズになってからサプライサイドにも回すようにしないとデフレが酷くなる一方だということですね。

やすい:ええ、やはり視野を大きくとって、現在は第四次産業革命が進行中だという認識を踏まえておく必要があります。それでサプライサイドに資本を回しても、あまり雇用が増えないので、いわゆるお零れ理論(trickle-down effect)は期待できないのです。

小山田:逆に言えば企業の方に財政からお金を回しても、デフレが激しくなるだけなら、企業も結局儲からないから、資本家の所得も増えませんね。しかしそんな理屈は小学生でも分かりそうなものなのに、どうして政府や財界は近視眼的にサプライサイドに先に投資し、家計はその効果を待てと後回しにするのですか。

やすい:そういう場合は、固定観念に囚われているということです。養老孟司さんが『バカの壁』と言いましたね。つまり家計に直接給付するということは、働かないでも所得が入るということですね。近代社会は稼いで所得を得ないといけないということです。投資や資産貸与や雇用労働などで己の力で稼がないで、所得が入るとなったら、経済活動が衰退して社会が成り立たないと思い込んでいます。だから元気でまだ働ける年齢なのだから、働けばいいんだ、そのための環境を整えるためにサプライサイドに先に投資するということですね。

小山田:それはお説御尤もですが、しかし省力化が進んでいて、雇用がないし、設備投資が盛んになり、生産が伸びても雇用はそれほど伸びない時代になっているのだから、先に家計に回さなければならないということですよね。それぐらい分からないのかな。

やすい:それはやはり近代勤労社会から脱労働社会へと移行しつつあるという認識をしっかり持たない限り無理ですね。脱労働社会への移行が必然的だとしたら、最早、完全雇用政策はアナクロニズムということになるはずです。ところが未だに経済学者のほとんどが経済学の目的を完全雇用の実現に置いているのが現状です。積極財政理論の急先鋒のMMTですら、経済政策の目標をJGP(ジョブギャランティープログラム)による完全雇用に置いているぐらいですから。

3、デフレ期は積極財政がセオリー

物溢るる生産力がありとても所得なければ糞詰まりかな

小山田冴子:それでこの30年のデフレ停滞を脱却するためには、各企業が立ち遅れを自覚し、技術革新に邁進してもらって、競争力をつけなければならないのですが、どうも設備投資にも人材確保のための賃上げにも消極的ですね。今年はさすがに賃上げの声が高まっていますが、それは比較的余裕のある上場企業だけではないかと言われています。それで頼みの綱はやはり政府の積極財政ということですね。それもサプライサイドの前に一般国民の家計に給付すべきだというのが、やすいさんの提言ですね。それはさておき、政府はバブル崩壊後の手当で赤字国債を出したのが雪だるま式に膨張し、1千兆円をこえていますので、財政危機でその立て直しが先だから、緊縮財政は譲れないという構えですね。

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やすいゆたか:だからそれはサプライサイドに先にお金を回したために、デフレを深刻化したせいだということです。デフレが克服されるまで、家計に給付して経済が循環したら、サプライサイドの方にも給付すればよかった。あるいは経済が循環したらサプライサイドに給付しなくてもそれで景気回復するからいけたのです。問題は企業が負債を抱えていて設備投資に消極的になっている。そこで、政府はこれからの経済を牽引するようなハイテク産業、IT関係や環境問題とも関連するバイオ産業とか、もちろん次世代半導体開発とかの研究所を立ち上げ、その付属大学を作り、世界中から人材を集めるということに積極投資すべきでしょう。ともかく企業任せでは、まともな設備投資、研究投資もしないで、配当と内部留保に充てている企業がおおいのですから。

小山田:しかし現に累積債務をこれ以上膨張させて、次世代の負担を増やすべきではないというのが、政府の立場ですね。

やすい:だから累積債務の額によって、赤字国債を出す量は規制されるべきではなく、インフレになるかどうかですね、それが唯一の判断基準だというのが積極財政派の立論になります。

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ランダル・レイ

小山田:それがMMT(現代貨幣理論)ですね。財政に累積債務が溜まっても、いくらでも赤字国債を発行してもいいなんていうのは、まるで打ち出の小槌みたいですね。デフォルト(債務不履行)という形での財政破綻を招かないのですか。

やすい:金本位制や他国通貨との固定為替相場制になっていたら駄目ですよ。また国債が外国によって買われている比率が高ければ問題です。政府が管理通貨制度で通貨高権を確立していれば、国内で引き受けられていれば大丈夫だと言いますね。ただし国債には利子が付くので、その分赤字がさらに累積します。幸い現在はほとんど0金利なのでその心配もないのですが。このところコロナ禍とかウクライナ戦争などの影響で世界的にインフレになっており、デフレを前提とした議論がしにくくなっていますね。それは短期的な問題として、第4次産業革命が続く限りデフレが主調だということです。

小山田:日本は第4次産業革命が遅れていてすでに後進国だという人もいますよ。

やすい:ええ、ビジネスの第一線で中国、台湾や韓国、アメリカなどとガチンコで交流してきた人が、日本はITなどハイテクの技術革新に本気で取り組んでいなくて、もはや後進国ですと断言されていましたね。ソニーなんかは頑張っているほうですが、もはやアメリカ・ソニーでは日本人の従業員より外国籍の人の方が多いようで、そのうち本社をアメリカに遷すこともあり得るのではないかとおっしゃってました。そうなったら外資になってしまいますね。しかしそんなことが問題なのではなく、どうすれば日本での事業を伸ばし、日本で働く人を増やし、かつその生活を豊かにできるかですね。

小山田:おっとMMTの話でしたね。たしかに半導体では後れをとってしまったのですが、国際分業として捉えますと、一色淸さんによると「日本は半導体製造装置や半導体材料の分野ではまだ世界のトップクラスにあります。広い意味の半導体産業は今も日本の主要産業といえます。」ということで、第4次産業革命から完全に置いて行かれているということはないでしょう。でもIT関連の高度な技術を開発する公的な研究機関や大学は少ないですし、その研究者もあまりいないので本気で国が乗り出さないと、もはや後進国と言われても反論できませんね。

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やすい:それでMMTによりますと、税収は財源ではないということです。だから、税収の枠内で予算を組まなくてもいいということなのです。

小山田: そこは狐につままれているような妙な感じがするところですね。

やすい:政府機関である日銀が発行する通貨は元々債務証書であるというのが、MTTの貨幣論の特色です。だから貨幣を所持しているということは、国対する債権を持っているという事です。政府は国民に治安維持や公共サービスを提供しているわけですから、国民はその債権の一部を税金を払うことで、消去するわけですね。その時点で通貨は消えるわけです。つまり通貨と言ってもキーパンチで通帳に書き込むことで、生じたり、消えたりしているわけですね。なにか貨幣という物が実体的にあるわけではなくて、債務関係に過ぎないわけです。

小山田:収めた税金というのがどこかにあるわけじゃないから、それは財源にはならなくて、財源は政府が支出する通貨だということですね。ということは国債だけではなく、普通の経常収支も借金しているのだということですね。通貨が債務証書としたら、政府の支出自体が民間に対して債権の付与に当たりますね。政府の支出は民間の収入。政府の赤字は民間の黒字という表現を使います。それで財政の赤字は民間にお金が回って経済活動を活発にするのだから、それほど心配するなという理屈です。逆に政府の財政が黒字だとその分民間から吸い上げて、民間が赤字になるので、経済が委縮する心配があるわけですね。

やすい:だから経済政策としてはデフレの時は財政を赤字にして通貨を民間に出回らせてデフレを収束させればいいし、インフレの時は財政を緊縮して黒字化し、インフレを収束させればいいわけです。

小山田:それならMMTは既成の経済政策論と変わりませんね。それなのに何故、とんでもない議論と写ったのでしょう。

やすい:それはどれだけ政府が債務を抱えていても、その額によっては予算の額は左右されないので、いくらでも税収額とは無関係に財政規模を膨らましても良いとしたので、そんなことをしたら借金を累積する政府に対する信用がなくなり、それで日本の場合円の信用もなくなって、円安になり、インフレが加速し、財政破綻するだろうと思われたからです。

小山田:民間同士なら借金すれば、それだけのお金を都合つけて返す義務がありますが、政府は通貨を政府機関の日銀を通して発行できるので、破綻しないわけですね。一応日銀に対する借金になるけれど、日銀は政府機関だから通貨を上納できるわけで、日銀が保有している国債は別に次世代の重荷になるわけではないということですね。

やすい:MMTの貨幣理論は貨幣を関係に還元して捉えて、貨幣を実体として価値を保有する商品とは見なさないところがすごいわけです。我々は価値を目に見える形で捉えようとし、金塊や貴金属などを思い浮かべ、紙幣もそれと交換できるので、借金するとすごく重圧を感じます。政府の借金も次世代の国民の肩にのしかかると思い込んで、財政支出をしり込みします。その結果、科学技術で他国に後れをとると、それこそ途上国化して社会保障もできなくなります。

小山田:肝心なのは、国民経済全体の技術水準であり、生産力の水準ですね。通貨はそれを循環させる手段であり、関係に過ぎないわけです。たとえ政府に累積債務が膨大にあっても、それを持っているのが国内の国民経済の主体であれば、極端なインフレやデフレになったら自分が困るので、国債を一気に現金化して、ハイパーインフレにするようなことはしないわけですね。もちろん戦災や大災害があって、品物がないとなったら買い占めにはしってハイパーになる恐れはありますが。

やすい:だから政府の仕事(The Work of Nation)は、インフレの時は緊縮財政でデフレの時は積極財政が基本ですが、常に科学技術の水準や人材育成で最先端をいくように教育・研究体制を充実することが必要です。まだ産業基盤を整える公共事業をすることです。

小山田:教育体制ですが、アメリカのエリート大学のように授業料が高くてエリートの子しか行けないようにしてしまうと、格差拡大につながり、それが低成長の原因になりますから、教育費は無償化し、世界中から英才が集められるようにすべきですね。

やすい:私は、無償だとかえって誰の世話にもなっていない気がして、モチベーションが上がらないと思います。かといって有償にすれば貧困の再生産になるので、逆に学習に報酬をだすべきだという考えです。BIよりも経済にとっては効果的です。出席に対して、単位取得に対して、優秀な成績に対して報酬するようにすれば、モチベーションが上がりますし、世界中から人材が集まります。科学技術水準の向上に大いに貢献し、長期的には元が取れるし、ジャパン・アズ・ナンバーワンにつながると思います。

小山田:それこそ膨大な経費がかかりますが財源はどうするのですか。

やすい:井上智洋さんの『AI時代のベーシックインカム』によりますと、月7万円を全国民に給付するBIを実施ことが可能なのですから、十分可能でしょう。一気に小中高大と実施となると抵抗が強いので、大学生から実施するとかして効果が見られたら拡大することにすればいいわけです。

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小山田:デフレの原因が脱労働社会化の深化にあるという点で、井上さんとやすいさんの見解は一致していると思いますが、技術革新に伴う省力化で所得が少なくなっているので、BIで補うことでデフレ脱却を図るというのは正論ですね。

やすい:もちろん試してみる価値があります。ただ赤子から老人まで一律に支給するとなったら、何の活動もしないのに暮らしていけることになり、どうしても怠惰になって、需要も伸びなくなってしまうと思います。私が提案しているのは学習報酬制を文化・スポーツ、ボランティアにも拡大して、社会的に有意義な活動に対して報酬する「AIS活動所得制度」です。そうすれば競って活動するので、需要が伸びて、第4次産業革命で加速度的に生産が発達するのに少しは追いつけるのではないかと思います。

4、近代の迷妄を破る哲学が必要

どんづまりにっちもさっちもいかぬならいよいよ出番だソクラテスさん

小山田:さてそろそろまとめに入るのですが、MMTの場合でも貨幣を実体的な商品の一種として捉えるのではなく、債務関係に還元することで、今までのプライマリーバランス(税収の枠内に歳出を抑える健全財政)の限界を突破し、デフレ脱却の理論的武器を与えてくれました。その意義は大変大きいけれど、結局彼の経済政策はJGP(Job Guarantee Program)で、完全雇用を目指すケインズ経済学の枠内に留まっているわけですね。もし井上さんややすいさんの言われる如く、脱労働社会化が目前に来ているのでしたら、アナクロニズムです。人口のほとんどが失業者なので、就職の当てもないのに職業訓練や軽作業をさせて、それに給与を出すことになります。それなら諸星大二郎のプラカードを持たせて歩かせるのと大同小異ですね。

やすい:貨幣を商品貨幣論のような実体的な貨幣論から関係的な貨幣論に転換したことは、廣松渉の事的世界観の影響があったかどうかは分かりませんが、哲学的な大転換をやっているわけです。ところがやはり富や価値を生み出すのは生身の人間だけだという近代の勤労社会観の迷妄からは脱却できていないわけですね。

小山田:第4次産業革命が起こって、価値や富が有り余るほど生産されても、それに伴う省力化で大部分の労働者は雇用所得を減らされたり、停滞したままになると、長期デフレになり、利潤率が低下して低成長するわけですね。それを突破するには、所得をBIやAISという形で財政から補填するしかない筈なのですが、それができないのもやはり哲学の欠如が原因ですか。

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やすい:ピケティは資産が生み出す利子つまり資本利益率が経済成長率を上回るので、賃金上昇率は経済成長率より低いので、資産家と労働者の格差拡大は必然だとし、それが21世紀の低成長になるとしました。それで資本主義が発展すれば利潤率き傾向的に低下すると言った、マルクス『資本論』の古典的意義を再評価することにつながったわけです。しかしマルクスは、工業が発達すると、資本構成比で労働力の比率が小さくなることで説明しました。つまり価値を生むのは生身の労働力の労働だけだから、その比率が下がると価値増殖ができなくなって、利潤率が低下するのだとしたのです。20世紀末から純粋機械化経済に向かい出して、生身の労働者の生産に果たす割合が少なくなったわけです。それで確かに利潤率も低下していますが、それは自動機械では価値を生まないからでしょうか。

小山田:自動機械やロボットに生身の労働力が代替されるのは、その方が価値生産性が高くなるからですね。利潤が減ったのは、雇用所得が減少したために需要が伸びなくて、売れないからですね。だから所得の減少分を補填し、生産性が上がって供給が増える分についても、財政から給付しないと、売れ残って、デフレになります。

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やすい:ですからマルクスの説明は現象的には合っているように見えて根本的に間違っているのです。つまり財政は自動機械が生身の労働力に代替して増やした価値の部分を通貨として国民に給付すれば、経済が循環するわけですから、生身の人間労働だけが価値を生むと捉えてはいけないのです。

小山田:結局マルクスの論理は、労働主体と生産手段という形で人間と機械を峻別し、人間労働だけが価値を生むけれど、そのためには手段として機械が必要だという論理ですね。行為の主体の働きが価値の源泉で、機械自体は製品を作ったり、サービスを可能にするけれど、価値は生んでいないだということに固執するわけです。

やすい:それは資本主義体制を資本家による労働者の労働の搾取体制に還元して捉える場合に、まことに説得力のあるレトリックだったわけです。しかし機械に含まれていた価値は製品に移転することにしていますから、過去の人間労働が機械に憑依しているという憑物信仰の論理を使わざるを得なかったわけです。

小山田:やすいさんは、資本家や地主も資本や土地に憑りついて、その利潤や利子を生み出す働きを自分の働きとして捉え、利潤や利子を自らの営利、利殖活動の成果として捉えているとされています。その意味では憑物信仰では共通しているわけですね。そして機械の働きや土地の働きもマルクスはそれを生み出した過去の労働が機械や土地から製品や作物、サービスに移転することとしてやはり憑物信仰の論理で、すべて労働者の労働に還元して説明しています。

やすい:機械が働いている時は過去の労働は働いていないで、機械が働いているわけですね。それを機械は過去の労働がないと存在しないからと言って、機械に過去の労働を憑りつかせるわけです。何故そうするかというと、機械と人間を峻別し、身体的人格的個人を主体として純化して捉え、機械を人間から切り離して、手段に貶めるからです。そのことによって資本と賃労働関係を浮き彫りに出来たわけですが、それがここにきて通用しなくなったわけです。だって、ほとんど無人化した工場や店舗で価値は生まれているからです。だから生身の人間と機械などとの峻別を止揚して、包括的なヒューマニズムに立って、経済循環全体を人間として捉え返す必要があるわけです。これは根本的な人間観の転換ですね。

小山田:それは1986年刊の『人間観の転換―マルクス物神性論批判』というやすいさんの本格的な『資本論』批判がいよいよ本領発揮で、脱労働社会化に筋道をつける役割を担っているということですね。

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やすい:マルクスも『経済学・哲学手稿』(1844年)の段階では社会的諸事物は人間の非有機的身体として広い意味の人間に包摂されていたわけです。ただ機械もそれだけで価値や富を生めるわけではなくて、生身の身体的な個人の活動つまり生命活動、生活活動、表現活動、実践活動などによって、消費されて真価を発揮することで稼働できるわけですから、機械と生身の個人は表裏一体なのです。だから生身の人間の活動も価値を生むのに必要だったとして、活動価値を労働価値と共に商品価値に含める必要とかがこれから議論されるべきでしょう。そうでないと脱労働社会ではほとんどの生身の個人は雇用労働しないのですから、その所得を活動の報酬として得るためには、活動の必要不可欠性が認められる必要があります。

小山田:確かに、所得が減ってデフレが深刻になるから、財政から給付するでは、所得が多い人が税金を納めて、少ない人に回してやっているようにも受け止められますね。

やすい:ええ、誰かの得は誰かの損、もらえる人がいるのはそれを出している人が居るからみたいに捉えられます。だからBIにしても所得の多い人の収入を少ない人に回すことで成り立つと思って、金持ちはいやなのです。「てめえら欲しかったら死に物狂いで働いて見ろ」という発想です。
 5人で1人の高齢者を支えていたのが1人で1人を支えなければならなくなると5倍の負担がかかって年金制度が崩壊するという論理もそれですね。そうじゃないそれだけ少子高齢化したのは機械に代替されたからで、機械は人の何倍も価値を生みだしているので、所得が大して増えていない生産年齢のひとが今まで以上に支払う必要はない筈なのです。

小山田:なるほど、機械も含めて人間と考えることで、財政から家計にお金を回すことも、誰かの負担が増えるように考える必要がないことが分かりますね。第4次産業革命で加速度的に富や価値が増えるのだったら、BIにしてもAISにしてもどんどん上げていかないと追いつかないわけで、財政の累積赤字でどこからそんな金が出るんだという発想自体、近代勤労社会の迷妄に囚われているということになりますね。

やすい:そのあたりの議論は『脱成長か脱停滞か―岐路に立つ資本主義』の姉妹作『岐路に立つ哲学―近代の虚妄を超える』のテーマにもなっています。

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御清聴ありがとうございました。

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