2月 1st, 2017 by やすい ゆたか

人類的危機と包括的ネオヒューマニズム1

ラボール学園2012年度秋 哲学講座

 

震災以後の人間、技術、文明を考える

 

 

やすいゆたか担当講座

⑫ 1月17日 ヘーゲル労働外化論と初期マルクス人間的自然論
⑬ 1月24日 パース人間記号論とマクルーハン人間拡張論
⑭ 1月31日 包括的ヒューマニズム(物や環境を含めた人間)の時代としての21世紀

 

 第一回 ヘーゲル労働外化論と初期マルクス人間的自然論

はじめにー危機に当って哲学を

❏今年のテーマは「震災以後の人間、技術、文明を考える」ということで、まことに哲学講座に相応しいテーマですね。大自然の大きな力で打ちのめされたり、地球環境問題で、人間によって破壊された自然のバランス崩壊によって、人類が死滅する危機を感じるとき、つくづく人間の力は無力だと感じますね。人間中心主義的エゴイズムでは駄目です。あくまでも自然の一部に過ぎないという自覚を持って、自然に適応していくという謙虚な気持が大切ですね。自然を支配してやろうというような思い上がった了見では、それこそとんでもないことになってしまいます。

福島原発事故報道❏当然このシリーズでは福島原発事故に関連して、核兵器、原子力発電など原子の力を解放して利用するということの恐ろしさについては十分学ばれたと思います。福島原発事故で世界中がショックを受けまして、ドイツやイタリアでは原子力発電の取り止めまで来ました。日本でも同様の国民投票を行えば、原発はゼロになると思います。なにしろ国民の九割は原発ゼロを支持しているのですから。

❏大晦日の紅白歌合戦で齋藤和義さんは『やさしくなりたい』を熱唱しましたが、彼は『ずっと好きだった』という自曲の替え歌で『ずっとウソだった』を歌いまして、これが反原発運動のシンボル歌になっていました。お蔭で国民のほとんどは反原発の筈でした。

https://web.archive.org/web/20160121063716if_/https://www.youtube.com/embed/AylBxsiUSws?feature=oembed

❏ところがこの度の衆議院総選挙の結果はどうでしょう。なんと原発推進を頑固に訴え続けている自民党が過半数を獲得したのです。話題を振りまいた第三極では、石原慎太郎を代表にして反原発を取り下げた「日本維新の党」が大躍進です。反原発を掲げた「太陽の党」は惨敗を喫したのです。

❏あんなに大変な事故が起こり、菅首相が東北関東には当分人が棲めなくなるような事態まで恐れて、東電に乗り込んだということですね。事故の結果莫大な損害をだしたわけで、これでいかに原発が採算に合わないか骨身に沁みた筈ですね。事故が起こらなくても、政府が特別に補助金を出していたので、安いように見えていただけで、原発ほどコストのかかる発電はないわけです。政府は1000兆円近い財政赤字を抱えていますが、原発推進のためにどれだけ税金を無駄遣いしてきたか、まことに腹立たしいですね。

❏結局、原発開発をやめてしまいますと、再処理技術や高速増殖炉の技術が完成した場合に、ほとんど無尽蔵にエネルギーが生みだせるのにということや、本音で言えば核兵器製造ができなくなることですね、これがあるから止めないのです。

❏しかし日本の場合は活断層が到る所に通っているので、安全な原発というのはかなり無理があります。日本は自然エネルギーを利用すればいいのではないでしょうか?それに核兵器開発と結びつくだけに、核拡散防止や核兵器全廃のためにも、日本は核兵器製造に向かうべきではありません。

❏中国や北朝鮮の脅威に備えていつまでもアメリカを頼れないので自力の核武装をすべきだという意見が強くなっていますね。特に最近は無人島の領有をめぐるトラブルを周辺国との間で抱えていますので、相手が核武装している以上、いつまでもアメリカに守ってもらえるわけではないので、いつでも核武装できるように、原発推進の旗は降ろせないというのが、自民党や日本維新の会の本音のようです。

❏これは大変不幸なことですが、戦後冷戦構造に巻き込まれ、憲法第九条を無視して、日米安全保障体制下で、領土保全のための自衛隊の創設が行なわれました。元々憲法第九条では、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇と武力の行使、そのための戦力の保持を一切禁止していましたから、たとえ領土問題が生じても、平和交渉で解決するだけで、自衛隊で領土を守る必要はなかったのです。国際司法裁判所や国連安保理などに訴えて、武力を保持も行使もできない国の領土が脅かされていることを訴えればよかったわけですし、仮に攻め込まれたら、避難すればよかったわけですね。

❏下手に日米安保条約や自衛隊があれば、相手国は国際紛争を平和解決できなかったから武力解決したことになり、固有の領土だと主張すればすくなくとも主観的には侵略ではないのです。

❏このように相手が一方的に侵略してくるのを防ぐために防衛力を整備するとなると、必然的に核武装が必要になってきますし、他国の核保有をやめさせることもできません。それが当然みたいになれば、各国はいつまでも過重な軍事費を抱え込まなければならなくなりますし、深刻な国益の衝突に際しては核戦争まで覚悟しなければなくなります。

❏そういうパワーバランスをとっていく時代は帝国主義の時代であり、覇権を争い、利権を争って戦争を繰り返す時代の論理です。第二次世界大戦以降は、国民国家同士の紛争を武力で決着する地域は限定され、富国と強兵は矛盾するようになったのです。これからは国際紛争の起こりそうな地域には国連の混成軍を配置し、各国は国家単位の軍備を持たないようにする方向にいくべきです。そうすれば、各国は膨大な軍事費の負担から解放されますし、核兵器の保有も必要なくなります。

❏原発開発は国際機関が行なえばいいのです。日本のような危険な地域には原発を設置する必要はありません。本当に無尽蔵のエネルギーをほとんどコストなしで供給できるようになれば、何も日本に置かなくても日本の分まで電力を作って、日本にも送電できるようになるでしょう。

❏哲学の講座でえらく政治経済軍事の問題に踏み込んでいますが、なにしろ震災以後の文明を考えるということは、根本的に原理からこれらの問題を考え直して、目指すべき方向性をはっきりさせなければならないということなのです。

❏よく19世紀や20世紀前半の国益第一主義や国家主義でいかないと、中国に併合されてしまうとか、北朝鮮が攻め込んでくるという人がいますが、そんな侵略主義剥き出しのやりかたでここまでグローバル化した国際社会の中で生き残っていけるわけはなく、破綻してしまいます。

❏それより心配なのは、日本の経済力の低下、その最大の基盤である技術力の低下、労働力の質的低下です。日本が最近揺さぶられているのは明らかに、そこに付け込まれ、日本など頼りにできないということで、舐めてかかられているのです。

❏特に教育、学力問題は深刻ですね。これでは人材が供給できませんから、経済が落ち込むのも無理がありません。行政の不能率も酷いもので、国民年金の管理もできないのです。震災復旧が進まないのも公務員の人的資質に問題があります。もちろん民間企業もがたが来ている。まさしく国民総点検が必要で、我々一人一人が自分の抱えている問題に真剣に取り組み、創意工夫してこの危機を突破しなければならないのです。

❏すぐ政治家が悪いといい、政治家のせいにする人がいますが、その前に自分自身の問題を捉え返し、そこから出発して、他人とも相互批判し合うという建設的な態度でないと立ち直れません。

❏このように原点に戻って一から一貫した論理で考え直すのが哲学です。危機の時代だからこそ、原理的に一から考え直し、解決すべき課題を見出して、それに向けて創意工夫していくことが大切なのです。

❏そこでどうしても引っかかる問題が「ヒューマニズム」という問題です。人間中心主義でやっていると、産業活動が活発になってそれが廃棄物を撒き散らし、温室効果ガスを増やして、人間環境を壊し、地球温暖化やオゾン層破壊などをもたらします。また原発事故で広範な放射能汚染などももたらします。それで人間中心のヒューマニズムを脱却すべきだという声が強いですね。

❏たしかに人間のエゴで地球環境を破壊するのはいけません。そういう意味では、人間による自然支配を「知は力なり」で科学技術を使って成し遂げようとした近代ヒューマニズムは、大いに反省が必要です。

❏それで20世紀のヒューマニズムは、現代ヒューマニズムと呼ばれ、人間が生みだした機械文明によって、巨大な機構や様々な機械や製品などの生産物が溢れ、その中で一人一人は無力な存在に貶められ、自分で自分の首を絞める自己疎外に陥っていると批判されました。このような「物からの解放」を叫んでいるのです。

❏この現代ヒューマニズムも、要するに人間の主体性の回復を目指しているのであり、人間が自由であり、人間が解放され、物に支配されないようにしようという発想ですから、人間のことしか考えていない、すくなくとも人間からしか見ていないので、極めて無責任であるということです。それに自然の立場に立ちきれないので、問題は解決できず、人間疎外の克服もできません。

❏現代ヒューマニズムは、若きマルクスの疎外論に影響を受けた、フランクフルト学派、20世紀実存主義、アメリカ社会学などにみられますが、特に戦後は1960年代に疎外論ブームの中で広がりました。しかし世界的に席巻した学生たちの異議申し立て、これは大袈裟に学生叛乱と呼ばれましたが、1960年代の末にこれが挫折しますと、現代ヒューマニズムや疎外論は一気に衰退してしまいました。

❏フーコーは主体としての「人間の死」を『言葉と物』で説いています。言語というシステム化された知の秩序の中で、語っているので、主体としての人間など幻想だということですね。むしろいかにシステムに絡め取られているかを構造的に明らかにすることが先決だというのです。

 「彼は神を殺したのだから、みずからの有限性の責任をとらねばならぬのは彼自身であろう。しかし、彼が話し思考し実存するのは神の死においてであるから、その虐殺そのものも死ぬことを余儀なくされる。新しい神々、おなじ神々がすでに未来の大洋をふくらませている。人間は消滅しようとしているのだ。神の死以上に――というよりはむしろ、その死の澪のなかでその死とのふかい相関関係において――ニーチェの思考が告示するもの、それは、その虐殺者の終焉である。」(渡辺一民・佐々木明訳『言葉と物』新潮社、四〇七頁以下)

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが一八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。」

Index❏そして環境問題でローマクラブが『成長の限界』を説きまして、人間中心主義では資源が枯渇し、資料が不足し、生態系が破壊されて、多くの生物が死滅することがはっきりしてきました。人間の身勝手な産業活動のせいで地球が大変で、他の動植物がえらい迷惑を蒙っているので、もうヒューマニズムを振り回すのはやめようという意見が強くなってきました。環境倫理学なんていう学問では、そういう傾向が強いですね。しかし、人間である限り、人間中心主義をある程度抑制することは必要だとしても、人間中心の見方、考え方を全面的に否定することはできないでしょう。

❏人間も自然の一部であるということを自覚して、自然環境の破壊は他の生物に迷惑であるだけではなく、人間の存続の条件をも破壊していることを見据え、知的生物として自然全体から課せられた地球の自然環境を保全するという責任を果たすのが、人間としての生き方であるという思想をもつべきですね。

❏この新たな思想は、自然がその一部である人間において、自己自身を見つめ直し、反省しているわけです。「自然の自己意識」とシェリングは人間の意義を規定しました。この発想は自然主義の貫徹ですが、同時に人間に自然の主体的自覚の役割を課して、自然の調和のとれた発展をはからせるのですから、これこそ人間中心主義の貫徹でもあるわけです。

❏それは甘いぜ、という反論がありそうですね、だって人間はエゴイズムの塊みたいで、いつまでも利権を争い、自然破壊もやめないじゃないか、私利私欲のためならどんなあくどいことでもやりかねないけれど、世のため人のため、大切な自然のために動くとなったらとたんに、経済に影響するとかいって及び腰になるじゃないかということですね。

❏たしかにその通りですが、そういう厳しい人間批評をするのも人間です。人間は個人レベルではなかなか自覚的行動はとれませんが、公共的活動する組織を作ったり、既成の機構や組織で取り組んだりしていますし、個人的にもボランティア活動に取り組んだりもしています。これは危機が深化しているので放置できないこともあり、動かざるを得ないわけです。

❏自然自身の自己意識になって人間環境の再生に取り組むという意味で、これは自然主義の貫徹であると同時にヒューマニズムの貫徹でもあるので、現代ヒューマニズムを克服する新たなヒューマニズムとして包括的ヒューマニズムと名付けてみたわけです。

 

1月 4th, 2013 by

人類的危機とネオヒューマニズム1

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1384/embed#?secret=FkugB1eCVd

人類的危機とネオヒューマニズム2

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1432/embed#?secret=muLtZI6oe9

人類的危機とネオヒューマニズム3

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1468/embed#?secret=YhffUIZe3I

人類的危機とネオヒューマニズム4

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1514/embed#?secret=Daq6q1qoGh

人類的危機とネオヒューマニズム5

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1562/embed#?secret=UD0Qe5Sois

人類的危機とネオヒューマニズム6

https://web.archive.org/web/20171002103118if_/http://www46.atpages.jp/mzprometheus/philosophia/1659/embed#?secret=0GlwodlWaY